悲憤

恋人が泣いた。今日、大切な人が恋人の前から消えたそうだ。僕は複雑な気持ちと自己中心的な思考に押し潰されそうになる。なんて器の小さい人間なのだろう。

 

恋人はオンラインゲームにハマっている。彼女にはゲームの中にも沢山の友達がいて様々な人に盛大な愛情を向けている。僕も彼女の影響でそのゲームをやっているわけだけど彼女とやらない時は専ら1人でしかしないし、なんならそこまでログインする方でもない。

そんな自分だから彼女の気持ちがわからなかった。

 

 

 

先程も述べたように彼女の大切な人が消えた。その人はゲームの中の人で彼女曰く、そのゲームの中で最も大切な人だったそうだ。嫉妬した。ゲームの中という表現の中に自分が含まれているかもしれないと考え酷く怖くなった。おそらく彼女にはそういう感情もそういう考えすらもない。

 

 

彼女は号泣した。明日確実に目が腫れるほどに。しかし僕には全く理解が出来なかった。もちろん彼女の交友関係やゲームの中で大切な人というのを否定している訳では無い。自分にはそういう人もおらず理解が出来ないと言うだけだ。

 

 

 

それでもどうしても哀しくなってしまう僕に彼女は言った。「君にとって俺(彼女の一人称)が居なくなるようなもんだよ。」

 

 

言いようもない不快感を感じた。ああ、僕にとってはあなたがいなくなるようなものがゲームの中の人が居なくなることと同じか。それは僕がいなくなることはあなたにとってはなんなんだろう。胸が苦しい。息ができない。

 

 

 

ふと気づく。自らが理不尽であることに。彼女はただ仲の良かったゲーム友達を失って悲しんでいるだけではないか。僕はなんて器が小さいんだ。僕はなんで自己中心的な考え方しか出来ないんだ。

 

 

そんなことを思うが全てを自分のせいにできるほどの覚悟も僕にはなくて彼女への悲しみと自分への怒りが交互に来ている。

どうにか書かないと潰されてしまいそうだった。

 

 

彼女に言ったら傷つくだろうな、怒るだろうな、と思うことは何となくわかる。

 

 

それを全て言わないようにすると僕はただの相槌マシーンに成り下がった。彼女と意見が食い違った時、僕は言葉を飲み込む。言葉は肥大して不安へと形を変え僕の心へのしかかる。

 

 

 

今日は彼女と花火をした。久しぶりの2人きりの時間は満ち足りたものだったし、とても楽しかった。

 

 

しかし今日という日は彼女にとって僕とすごした楽しい日ではなくて大切な人が居なくなった悲しい日なのだろう。なんと不幸なことか。彼女の不幸が僕には理解できないどころかその理解できない不幸に僕との幸福が上書きされすり減らされてしまったわけだ。

 

 

 

彼女にも自分にもイライラしてしまうせいでどちらへの嫌悪も消えない。この気持ちを伝えることは彼女にとって煩わしいことでしかないのだろう。悲しむべきことでもあり怒りも湧くだろう。それらを受け入れる勇気もないまま僕はまた意見を押し殺しここでしか自己を表現出来ない。