実感がない。恐らくそういうものなのであろう。実感を持てる人間など本当は居ないのだろう。ただ盲信できる心の強い人間にのみ与えられた権利なのだ。しかしそれは実感と言うには余りに形が無さすぎる。僕には虚像に見えて仕方がない。

 

 

僕は心が弱くただ考え過ぎる人間なだけだと思っていた。しかしただ強欲であっただけなことに気づいた。それは余りに自己中心的で余りに冷静なものである。つまり満足出来る点が定められていないということだ。虚しい人間だ、と思う。相手が僕を満たそうとする。幸福に包まれる。それで相手への好意が増大する。その好意は恐らく見返りを求めている。相手の幸せのみを想い、見返りを求めないのを愛だと言うなら僕はまだ未熟で仕方がなく恋から先に進んだことがないのだろう。つまり幸福を与えてくれた相手に対して増大した好意の見返りを強要し続けるわけだ。僕の周囲の人間はこの拷問に耐え続けている。感謝の念と謝罪の念を込めて増大した陳腐(尊大)な好意を残しておく。