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僕は諦めてしまったのだろうか
あの時悔しい気持ちも悲しい気持ちも全て文章に乗せてきたはずだ
だから僕は生きてこられた 文字に生かされてきた
なのにもう悔しいとも悲しいとも感じられない
文章を書こうという気持ちになれない
怖くて無理やり文章の方に顔を向かせて書いている
文章を書くのは未だに好きなのに、自分が以前より劣った文しか書けない気がして怖い
文章から逃げることで感情からも逃げている
唐突に死にたくなった時、最近はずっと自分の感情がわからない
なぜ死にたいのか、僕は苦しいのか、悲しいのか
自分自身が何を感じているか分からない
人間にはきっと必ず矛盾した感情があるんだろうけど最近の僕は逆にそれしか持てていない気がする
あの子の病気を心配しているはずなのにどこか何も感じられていない自分もいて
安静にしていて欲しいのにただ自分勝手に行動して無理やりあってしまいたいと思う自分もいて
申し訳ないと思うと同時にめんどくさいと感じてしまって
そのうち制御できなくなってしまうのではないかと怯えている
あの子からすると自分はLINEでは精神年齢が高くて優しい人で会うとすごく甘えてくる精神年齢低い人らしい
僕はあの子の前では繕えて居ると思い込んでいたのに会ってしまうと本性が溢れ出てしまっているらしい強い人間ならあの子に縋らなくても生きていけるのだろうけど我慢できなくて助けを求められなくて甘えるという方法でしか救済をしてもらえる方法がない
本当はしんどいって言いたいのかもしれない
隠したいことしかないから口をついで出る言葉は嘘しかない
本当の自分を伝えようとしても根幹の1番暗くて汚い部分を隠すのに必死で結局伝わりきらない
高校生、なんなら中3の頃から考えていることに差がなくて成長がなくて、きっと中3で自分の1番深いところに気づいてしまったんだと思う
成長しなくていちばん深いところが他者からすると浅瀬だから結局表面をすくい上げて形にするだけ
たった一つのことを深く、細かく、大切に叙述する能力もなくて浅く狭いことだけをみてこれが僕の全てだと絶望するしかない
どうすれば僕は成長するのだろう
どうすれば深い文章がかけるのだろう
どうすれば深い感情を持てるのだろう
分からなくて、もがいて汚く生きていくしかない
美しいものは眩しくて苦しくなるから
美しすぎて醜い僕は嫉妬してしまうから僕は美しいものを手に入れたり使用したりできない眺めるだけで精一杯 あの子にあげたい
あの子は僕が美しいと思うものを好きじゃないかもしれないけど僕は汚くしか生きれないから君にはふさわしいよって美しいよってこれはあなただよって言って渡してあげたい
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姉が大学を卒業した。
母は卒業式に行きたかったみたいだけど、コロナ対策で会場には入れないということと、東京までの交通費が高いということで卒業式には行かなかった。
そんな中、家族のグループLINEに姉が卒業式で撮った写真と共に家族への感謝のLINEを送ってきた。
内容は実家を離れて両親に悲しい思いをさせたということや、金銭面の負担のことなど謝罪から始まって、離れてみて家族の大切さや地元の良さが分かったということが続き、ここまで面倒を見てくれた両親への感謝の気持ちやこれから頑張るということが綴られていた。
母はそれを見て泣いていた。
姉は母に寂しいということを言っていなかったみたいで、母はLINEを見て初めて姉が家族と離れたことを寂しいと感じていたことを知ったそうだ。
母は姉が寂しく感じていないのではないかと思い続けその気持ちに対して寂しく感じていた。
だからこそこのLINEがすごく嬉しくて、同時に卒業式に行けなかったことを申し訳なく思ったのだろう。
このことだけで母は姉をすごく愛しているのが分かるだろう。この愛はきっと同じくらい僕にも注がれている。そのことは日々感じているし、もちろん両親のことは好きなのだけれど、僕はその親からの愛、というか無償の愛というものに恐怖を覚えた。
姉のLINEはすごく素敵なもので、母の反応も合わせて幸せな気持ちにはなったのだけれど、きっと自分が同じような状況で、同じような行動をとったらきっと母は僕のために泣くだろうと思う。それがすごく怖い。
自分自身に愛を受けるほどの価値を見出すことも出来ないし、それを返す自信もない。
無償の愛というものは僕の親にとっては子供に捧ぐべき当然のことなのだろうけど、それでも自分自身がそれに値しないという感覚がある。
恋愛や友情にはあくまでもメリットやデメリットというものが付いてきていてそれを抜きにして人間関係は成り立たない。
家族というものはそれをも超越してしまう繋がりがある。この異質で不自然な人間関係には違和感を感じてしまうけど、それでもどうしても愛を注いでくれる両親や祖母のせいでこれを愛さずにはいられない。
家族というもの抜きで幸せに生きてる人もきっといて血縁関係自体が必ずしも尊いものだとは思わないけど、少なくとも自分にとって家族は尊いものになってしまっている。
それが怖いというのは凄くひねくれた思考かもしれないけど、無償の愛に対しては嬉しい気持ちの中にどうしてもそれから逃れたいという気持ちも内包してしまっているのである。
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この文章は自分の感情の整理のためである
ただ、それと同時に無から有を生み出すためのトレーニングでもある
僕の文章にフィクションはほぼないけど、書いている内に自分の中に今まで無かったものが湧き出てくることがある
これは自分の体験によって獲得した感情、言葉ではなく自分の想像によって創出したものである
だから僕は今も文章を書いている
文章を書きたい時は決まって暗い感情の時であるが、悲しいや辛いでは形容出来ない感情であることが多い
だからとりあえず文字を羅列してみる
そうしてみると頭の中で単語として形容しようとしているうちには何も思いつかず、乱雑だったものが勝手に整理されていく
もちろん文章が出来上がったところでそれを一言で形容することなんて出来ない
ただ、言葉を尽くして同じ事物を違うアプローチで表現することで自分に対して感情を説明してあげることが出来る
違う表現をしている事でまとまることは無いが感覚としては明確に感情の輪郭が見えてくる
僕は思う これが創作ではないか
文字で、音で、映像で、絵で簡単には表現できない感情を色んな力を借りて表現する
僕は既に創作をしていたのではないか
そう考えるとただの自己満の作業が、ただの生きるための術が僕がどうしてもしたい創作なのではないか
そう考えることで僕は僕を少しだけ救っている気がする
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短い文章で満足している自分が嫌になってきた
断片的な思考を書き留めて僕の文章はただのメモになり下がっている
バラバラな思考を統合し、それを詳細にまとめることで自分というものを表現出来る
それなのに僕は異なる思考を異なるものとして割り切ってしまっている
このまま外に向かって発散し続けてしまえば自分というものを自認することはない
今僕が生きている理由はきっと自己の確立と表現だからしっかりとまとめ直さなければならない
僕はずっと映画を撮りたいと思い続けている
この間、健全な地域団体が主催する映画制作の企画に応募してしまった
そんなところでクオリティが高いものが作り出せるとも、したいことが出来るとも思わないけど、それでも僕は作りたかった
ただ、いつかは僕と同じような人が出演して、僕と同じような人の心に残るものを作りたい
僕と同じじゃなくても、生きることが苦しい人が苦しい時に思い出すものを作りたい
救済できるなんて思ってないけど、思い出してもらえるくらいのものを
別に人が死ぬことを止めたいわけじゃない
生も死も所詮そこに存在するだけの概念だから全て背負えるなら死んでもいい
きっと多くの人が幸せな瞬間、状態でふと死にたくなることがある
幸せなんて死なない条件になり得ない
だけど、だからこそ、誰の死も止めることが出来ないからこそ意味が無いからこそ僕は作りたい
無駄をないがしろにする人間にはなりたくない
思考
文章や映画に代弁を求めてる。
僕を含め現代の人々はもどかしい感情や形容し難い絶望や喜び、苦しみに日々直面している。それを言語化、可視化出来ないことに苦しみが胸につっかえる。それを形にされることを望んで僕は作品に向かっているのだと思う。
僕の中で文章や映画以外に胸のつっかえを忘れることが出来る瞬間がある。
それは思考することだ。
僕はこれまで思考することを悪としてきた。考えすぎると気分が落ち込んでしまう、考えすぎると上手くいかない。
しかし最近そうでは無いのではないかと思えるようになってきた。
もしかすると僕が思考していることは常識で何を今更と思われるようなことかもしれない。ただ僕はそれを謎として向き合うことによって自己を形成している実感がある。
思考することで樹形図ができ、自分の中で完璧な考えが浮かんだ時の快感を求めている。例えば幸福と不幸についてだ。
ふと何の前触れもなく幸福と不幸は相対的に捉えてはいけないと気づいた。
相対的な思考は自己の感情を素直に感じ取ることは出来ない。
「あの時は幸せだった」そう思うことは誰にでもあるだろう。それは過去に比べて現在が劣っているという相対的な評価を下しているということだ。
僕は今日感じた「あの時幸せだった」という感情について思考してみた。
あの時と対比した今には劣っている点が多々あって懐古的な気持ちになった。
ただ、現在について独立したものとして考えると周囲の人に恵まれ、健康な体で生活出来ている。
これは幸せなのだとそう感じた。
ただ、この結論を出した時心から幸せだと感じることが出来なかった。1度相対的な評価を下したことで過去より幸せじゃない現在という考えから抜け出せなかった。
僕の現在は過去に抑圧され可能性を失ったものに成り下がった。
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「きっと君がドン引きするくらい僕は君のことを考えてしまっているよ。」
「ドン引きなんてしないよ。私もおんなじだから。」
一昨日の夜、彼女はきっと寂しかった。だから僕への愛を伝えてくれた。
ただ、それは一時的な感情の上昇による誇張表現に過ぎない。
僕は何度も何度も浮かれてその度に精神が蝕まれるのだ。
「僕の気持ちを全て伝えたら君は気持ち悪いとさえ思って、僕を嫌いになるんだ。」
「全部伝えてよ。好きな人からの好意が気持ち悪い訳ないよ。」
その言葉を今回も信じてしまった。
僕はまた性懲りも無く何度も飛躍しすぎている胃もたれするような痛々しい文章を感情のままに送り付けてしまった。
彼女は受け入れ続けてくれた。
でも
「帰ったらすぐあいたい。」
と言うと
「お、おお」
と返ってきた。
彼女は特に今愛に飢えてなくて、寂しくもないのだろう。傲慢なことにこの間の態度を求め、彼女に愛を枯渇して欲しいと思ってしまった。
ただ、きっと彼女はそろそろ面倒くさいと思っているし、なんでこの人はここまで会いたいんだ?と疑問を持っているだろう。
1度愛を向けられると愛を与え続けることが辛くて堪らなくなる。
片想いであれば僕はただ好きでいることを楽しめ続けるのに、どうして付き合ってしまって相手からの愛に慣れてしまうんだろう。
どうして好きでいられる幸せを感じ続けられないんだろう。
ずっと苦しいな、きっと彼女なんて居なくても、好きな人なんて居なくても面倒くさすぎて自分なら絶対関わりたくない
性格のせいで死にたいばっかだろうな
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僕が依存しているのはスマホじゃなくてあなただから
スマホが手放せないのはあなたの返信をすぐ確認したいからで、スマホを手放したらあなたのことしか考えられなくなるから
僕はきっとあなたが手を握って欲しい時に手を握ってあげられる人間になれていない
それ以前にあなたが手を握って欲しいのは僕じゃないんだろう
多分僕もあなたもお互い以外でも幸せになれるんだろうな
でも僕はあなた以外で幸せになりたくないな
もうあなた以外の誰かに恋したくない
だってさ、僕が褒められるようなところ自分にはないから努力するねって言ったら
あなたはしなくてもじゅうぶんだよって無機質な声で言うんだよ
僕が言わせたみたいですごく惨めだったけどそれでも嬉しくて心が渦巻いちゃったんだよ
僕が頼りたいのはあなただけなのに嫌われたくなくてどうしても頼れない
頼れないから生きることの怖さは肥大していく
それを和らげるために会ってる時はあなたにずっとくっついてしまう
だから僕は会う度にあなたの安心感が憎くなる
あなたと会った帰り道はいつも失恋した気分になって泣きそうになって死にたくなる
きっとあなたは僕と別れる時も泣かないし死にたくもならないんだろうな
僕のこの感情なんて僕の恋人である限りあなたには理解出来ないんだろうな
でもそこがいいのかな
理解されないから好きなのかもしれないな
理解されても苦しいからね
あなたに苦しみを与えたことでまたきっと死にたくなるもんね