姉が大学を卒業した。

母は卒業式に行きたかったみたいだけど、コロナ対策で会場には入れないということと、東京までの交通費が高いということで卒業式には行かなかった。

そんな中、家族のグループLINEに姉が卒業式で撮った写真と共に家族への感謝のLINEを送ってきた。

内容は実家を離れて両親に悲しい思いをさせたということや、金銭面の負担のことなど謝罪から始まって、離れてみて家族の大切さや地元の良さが分かったということが続き、ここまで面倒を見てくれた両親への感謝の気持ちやこれから頑張るということが綴られていた。

母はそれを見て泣いていた。

姉は母に寂しいということを言っていなかったみたいで、母はLINEを見て初めて姉が家族と離れたことを寂しいと感じていたことを知ったそうだ。

母は姉が寂しく感じていないのではないかと思い続けその気持ちに対して寂しく感じていた。

だからこそこのLINEがすごく嬉しくて、同時に卒業式に行けなかったことを申し訳なく思ったのだろう。

このことだけで母は姉をすごく愛しているのが分かるだろう。この愛はきっと同じくらい僕にも注がれている。そのことは日々感じているし、もちろん両親のことは好きなのだけれど、僕はその親からの愛、というか無償の愛というものに恐怖を覚えた。

姉のLINEはすごく素敵なもので、母の反応も合わせて幸せな気持ちにはなったのだけれど、きっと自分が同じような状況で、同じような行動をとったらきっと母は僕のために泣くだろうと思う。それがすごく怖い。

自分自身に愛を受けるほどの価値を見出すことも出来ないし、それを返す自信もない。

無償の愛というものは僕の親にとっては子供に捧ぐべき当然のことなのだろうけど、それでも自分自身がそれに値しないという感覚がある。

恋愛や友情にはあくまでもメリットやデメリットというものが付いてきていてそれを抜きにして人間関係は成り立たない。

家族というものはそれをも超越してしまう繋がりがある。この異質で不自然な人間関係には違和感を感じてしまうけど、それでもどうしても愛を注いでくれる両親や祖母のせいでこれを愛さずにはいられない。

家族というもの抜きで幸せに生きてる人もきっといて血縁関係自体が必ずしも尊いものだとは思わないけど、少なくとも自分にとって家族は尊いものになってしまっている。

それが怖いというのは凄くひねくれた思考かもしれないけど、無償の愛に対しては嬉しい気持ちの中にどうしてもそれから逃れたいという気持ちも内包してしまっているのである。