正体

何不自由なく生活しているはずの僕がこんな事になってしまった原因はなんだろう。僕は親の愛も周囲の人間の優しさも感じることが出来て幸せに育てられた。何の変哲もない1日、僕にとっても誰にとっても(その日が特別な日である人は大勢いるだろうが)平凡な1日の中で僕は違和感を感じた。

 

 

 

 違和感は増幅し続け今も僕の中で成長と分裂を続けている。ある人は言った。

「お前の状況で押し潰されそうだなんて甘ったれだ。」

その通りだと思う。僕は幸せな環境に置かれていることが耐えきれないのだと。僕自身はこんなにろくでなしで出来ることなんてないのにこんな生活を送っている。

 

 

 

 

日々を生きるのが辛い人に僕の言葉は届かないのだと思う。恵まれた日々をのうのうと暮らし、幸せに耐えきれないと言う。そんな人間を恐らく誰も許してくれない。

 

 

 

 

不幸ならいいのに。そう何度も思いその度に自分の人間としての出来、その劣悪さに絶望し自己嫌悪を覚える。数秒前の自分に本気で怒りを覚え全てに謝りたい気分になる。

 

 

 

 

誰にも届かない言葉はおそらく自分にすら届かないのだろう。ここまで失礼な思考をし続ける僕を許してくれとも思わない。ただ蔑めばいいと思う。皆で蔑んで蔑んで蔑み続ければ僕はいつか、ちり紙を捨てるのと同じように肉体を捨てることが出来るのではないか。

 

 

 

 

くだらない考えだ。ここまで愛を受けた僕がそんなことが出来るはずないのだ。あくまで僕の大部分は幸福な日常と幸福な思考に満たされている。ただ一部分だけの違和感に苛まれていることに自分の弱さを感じる。

 

 

 

どうしようも無く同じテンポで進んでいく日々に僕は何を見い出せばいいのだろう。何かを生み出せる訳もない。途方もない不安に急き立てられていることから目を逸らし、ダラダラと日々を送っている。僕は何もこの世に残せない。

 

 

 

僕の好きな物は全て天才が作っている。それを愛しく思う度に天才の技量を見せつけられ、自分の価値に絶望する。

 

 

好きな本も好きな映画も好きなラジオも作り上げているのは天才達で想像する度に僕には無理なことだと思い知らされる。

 

 

 

 

 

ただ憧れだけは捨てきれず文章を書いてみたり映画の手法について調べてみたり僕が話せるエピソードを想起してみる。

 

 

 

稚拙な文に、想像力に、トーク力に、絶望する。その度こんな事して何になる、と自身の可能性のなさに気づく。

 

 

したいことを一回やってみるということは自分の価値を認識することと等しい。自分の苦手なことに気づき出来ないことが増えていく。それは元々できるはずが無いものであるがやってみない限り可能性は持続され続けるのだ。

 

 

 

年齢を重ねる度出来ないことばかりが増えていく。分からなかったことが出来ないことに変わり自身の可能性を狭めていく。

 

 

 

 

僕には彼女がいる。付き合っている内に驚きばかり増えていく。バク転ができると知った時、美術で全国に行くと言った時、僕の知らない知識を幾つも教えてくれた時。様々な長所を持った彼女に激しく嫉妬し、どうしようも無く愛しく思う。この子は可能性を広げていける子だと思った。分からないことができることに変わって歳を重ねる毎に成長して行くのだろうと。僕の真逆に位置する彼女の生物としての優秀さにひどく感動する。

 

 

 

僕が気づいたことは気持ちをわかって欲しい人と愛する人は違うということだ。わかって欲しい人は同じような状況に置かれ、絶望している人だ。ただ、僕はその人を愛せない。僕は僕を嫌いで仕方がないから僕と似た状況のその人の本質を好きになれない。逆に愛する人には気持ちをわかって欲しくない。僕の心の中は汚いものにまみれていて汚してしまいかねない。

 

 

 

こんなことを自分で言ってしまうことは耐え難いほど恥ずかしいが、僕の長所というのは優しさという1点でしかないのではないか。

 

 

 

自己に絶望し、他者の優秀さに感嘆しているからこそ自己犠牲を容易にでき、他人に手を差し伸べることが出来るのではないか。それさえ無くなってしまえば僕は空っぽになってしまう。だから自分を嫌いなままでいる決意をはるか昔にしたのだ。

 

 

 

 

僕なりの優しさは誰かにとってはそうでは無いかもしれないがわかって欲しい人や愛する人には優しさとして伝わればいいと願う。

 

 

 

僕の文章力ではまとめられない事が多すぎて再び絶望している中このまま続ければ自己の才能の無さに余計哀しむことになるのでここら辺で終わろうと思う。

 

 

 

 

最後に、僕がこれを読んでいる人や周囲の大切な人に伝えたいこと。あなたが僕にとって意味を成す存在である限りあなたを肯定し続ける。たとえ全世界があなたを否定してもあなたの味方であり続けるということだけだ。