愚愛

たった1人に読んで欲しい文章をどうしてもその人に見せることが出来ないので可視化して気持ちを整理したいと思います。

弱い人間であることを中途半端に隠してしまっていることを申し訳なく思っています。

でも、これから曝け出せるとも思えず、八方塞がりな状況です。

あなたのような強い人間は私の弱さを理解できないでしょう。それは悪いことではありません。ただ、誰も悪くないからこそ僕は苦しくなります。

あなたを気遣った言葉はどうやら女々しかったようであなたをかえって不快な気持ちにさせてしまいました。申し訳ない気持ちは溢れてくるのですが、同時に哀しい気持ちが押し寄せてきます。

もちろんこんな事になってしまっているのは私のせいに変わりは無いです。このまま終わってしまうような気がしてなりませんが、恐らく私に止める権利などないのでしょう。

終わりたくなどないですが、私の多くの不用意な言動のせいであなたに負担をかけてしまっている以上終わりを感じざるを得ません。

だから終わる前に私自身のこととあなたへの気持ちを書きたいと思います。

 

まず、私はよく死にたいという感情に襲われます。あなたはイメージできるのかなとも思いますが、反対にびっくりするのかもとも思います。

かなり時間をかけてようやくなぜ死にたいのか分かりました。分かってしまえば普遍的なことでくだらないことです。ただ、私にとってはそれは大発見でした。

一言で言えばそれは存在の希薄さでした。

現代のネット社会、多様性が重要な社会において自己を確立しきれてない僕は存在意義を見いだせないという事です。

きっと、そんなことかと思われるでしょう。普通すぎると。そう、私はどこまでも普遍的なのです。特質と言えるものを持ち合わせてないのです。それが私には酷く辛い現実なのです。これに気づいた時、私は自分が酷く強欲であることに気がつきました。もちろん、今までも強欲なことには気づいていたのですがそれは私の想像のはるか先を行っていたのです。

世間には自己の普遍性を愛し、受容して生きている人が沢山いるのでしょう。それが私にはどうしても出来ません。

あなたはとても才能溢れる人です。だからこそ私は時々苦しくなってしまいます。自分の存在価値をさらに見いだせなくなるのです。

どうしても釣り合わないという気持ちばかりが募るのです。それがあなたに私の気持ちを伝えられない原因なのです。これは言い訳かもしれません。責任転嫁かもしれません。ただ、私の中でこれが答えになってしまった以上、どうしてもこの苦しい劣等感は肥大してしまっています。

あなたはご存知でしょうが、私は酷く自己肯定感が低いようです。ただ、だからこそ見栄を張ってしまいます。そして勝手に苦しんでいるわけなのです。

ここでしか言えないことを言わせてもらうと、本当はあなたのことを嫌いになりたいと思ったことが沢山あります。

気分屋なところも強いところも気にしないところも正しいところも全部大嫌いです。

ただ、どうしてもあなたのことを考えてしまいます。どうしても会いたくなってしまいます。命を投げ打って守りたいと思ってしまいます。

好きなところだって沢山出てきてしまうのです。それが悔しくて仕方がありません。だからささやかな反抗としてここには書きません。

私には最近考えていることがあります。しなければいけないことから逃げるための思考かもしれませんが強く望んでいることです。

それは表現者でありたいということです。

しかしこれは決して私自身を発信したいという意味ではありません。私の思想を発信したいということです。私は様々な表現者のお陰でここまで生きてこられたと思います。ラース・フォン・トリアー岩井俊二ジム・ジャームッシュ太宰治村上春樹西加奈子挙げればキリがないわけですがとにかく私はこの人達によって作り上げられたという訳です。

映像、言葉、文章の力で生き長らえてる私はそれ以外のことをして生存するということを許せないという気持ちになっているのです。

存在価値の希薄さが私の憂鬱の原因であると言うことに気づいたきっかけも漠然としたいことを考えた時でした。つまり私が映画を観て、本を読んで、という行為を行う理由は表現に対する憧憬でした。

私が残したかったものは私の存在ではなく、思想でした。私は思想を通して存在価値を確立したいと思っているという事です。

あなたは表現者としての素養に溢れています。それは私が喉から手が出るほど欲しいものです。私の最も欲しいものを持っている人であるという点であなたを尊敬し、嫉妬しているのです。

こんな歪んだ愛情であるのに私はそれを純粋なものに変換してあなたのことを愛しています。これは紛れもない事実です。ただ、なんの邪念もなくあなたを愛しているのです。

愛する人に認めて欲しいと考えるのはおかしいでしょうか。あなたには私の長所が思いつきますか。私には人から分かるような優れた能力など持っていないわけですが、それでもどうしてもあなたに認めて欲しいという気持ちを抑えられません。これも、普遍性と強欲さゆえなのでしょう。

今のあなたには私はただ鬱屈とさせる存在であるような気がしています。それは耐えきれないことです。だから終わりが近いような気がしているのです。あとは私の勇気だけなのでしょうね。あなたから離れる、あなたの幸せのみを願う勇気。私が私を嫌いな最も大きな理由はこんな勇気すら出せない卑小さでしょう。この卑小さをどうにかしたいと日々考えているのですがあまりうまくいきません。

もしかしたら私の思い違いであなたはまだ私のことを好きなのかもしれない。もしかしたらあなたを鬱屈とさせるだけの存在じゃないのかもしれない。

そういった逃げる理由を並べてしまういます。これを卑小と言わずなんと言うのでしょうか。

こんな卑小な人間と付き合わせてしまってほんとうに申し訳ないと思っています。改善したいとも思っているのです。

本当は、本当は器が大きな寛容な人間になりたいのです。

 

私はずっと自分に向けた文章と言い続けてきました。この文章にも書きました。しかし、いつも私は1人に向けて書き続けている。対象は変化するにしろたった1人に向けた文章なのです。更にほぼ全てはあなたに向けた文章です。ただ、読んでもらう度胸はなく、私に向けた文章と言い続けてきました。私が書くことによって救われてるのは変わらないし、私のためというのもあるけど、1番はただわかって欲しいと言う気持ちです。本当はあなたにわかって欲しい。受け入れて欲しいのです。

あなたに拒絶されそうなことも、面倒がられることも承知した上で受け入れて欲しいと思ってしまいます。

 

この傲慢さと付き合っていくのが辛くて押し潰されそうです。ただ、助けを求める力すら残ってないです。

だから、あなたが私の愛を受容してくれる限りはもがいて、生きて、最後にどうにか死のうと思います。